「リカレント教育」が注目されている理由
「リカレント教育」が最近注目されています。「リカレント,recurrent」とは、「再び繰り返す」、「循環する」の意で、OECD(経済協力開発機構)が提唱している生涯教育の構想です。教育は子供のときだけの問題ではありません。大人になってから初めて学びの大切さに気付くことは少なくありません。
私は、大人のための数学教室を2010年に始めました。これまで数千人の人が利用してきた個別指導、集団セミナーのサービスです。多くの方にご利用いただいており、まさにリカレント教育にわずかながらずっと向き合ってきました。大人になるからこそ、数学の必要性が身に染みてわかってくる、そんな方も多いのです。
生涯にわたって、教育と就労のサイクルを繰り返す「リカレント教育」。もともとは欧米で一般的な教育制度でしたが、雇用の流動化や人生100年時代などを背景に、日本でもより注目されるようになってきました。
しかし、このリカレント教育には最大の問題があるのをご存知でしょうか。
大人で学びが足りない人は、自覚がない
「学ばなければいけない」人ほど、実は自覚がないのです。
既に高いリテラシースキルを持っている人、読解力が高い人(数字力、数的思考力が高い人を含む)は、成人からの教育プログラムや訓練カリキュラムに参加する割合が高く、意欲が高いと言われています。(「国際成人力調査PIAAC2013年」より(※1))
大人になってからの学習、訓練によって失業のリスクも低下させ、失業後にも再就職する可能性が高まると言われています。国全体で見れば、労働力人口が増えていく効果をももたらすことがわかっています。(※1)
もちろん社会人になってから学習し続けている人は、その学習内容や身に着けたスキルを仕事で用いるチャンスも増えていくことにつながり、それが、さらによりよい報酬がもらえる仕事へ、さらにそのスキルを成長させることにもつながるという好循環が生まれるのです。
しかし、元々リテラシースキルが低い人、読解力がない人からは、悪循環になってしまうことは否めません。様々な学習機会や学べるセミナーなどにも参加せず、その能力を高めることや維持することが難しくなってしまうことから、仕事の現場でもそのような仕事につくことができず、仕事から学ぶこともできず、基礎的な力もないことから、同じ文章を読んでいても、人の話を聞いていても、吸収できる情報量が違うことは明らかです。それが、学習活動をより困難にしています。まさにマイナスのサイクルです。
日本にチャンスはあるか
日本は、大人になってから学ぶ習慣はそもそもほとんどありません。再度大学に行くことはどうでしょう?いや、大学に行けないことはないのです。しかし、明らかに大学には行きにくい社会に明らかになってしまっています。
「高等教育機関への進学における25歳以上の入学者の割合(国際比較)」
のグラフを見ていきましょう。
「入学者の割合」ですので、単純に「社会人(25歳以上になってから)の大学への入学」を2%の人しかやっていないというわけではありませんのでご注意ください。計算してみると、大学進学率が5~6割程度の日本ですから、現実はもっと少ない割合だと考えられます。いずれにせよ、他の国と比べて明らかに低いことは明らかです。
もちろん、他の指標もあります。「非大学型口高等教育機関」といって就職に直接結びつくような、実践的なプログラムなのですが、こちらはまだ少し高くはあります。
しかし、決して他の国(特に北欧)と比べても、低い数字です。21%ということで、5人に1人となっています。
格差を食い止めるために
一つの結論として、長期的には、格差はますます広がる方向に進んでいくことでしょう。大人になってから格差に気づいたとしても、なかなか学ぶ機会もない。「教育」こそが我々の根っこです。
なぜ、現状がよいのか、悪いのか。そのよい、悪いの判断は我々の思考を通して行われます。物事の見え方の根っこは思考から、つまり、その思考をもたらす教育こそが、我々のすべてを形作っているのです。
特に、読解力のない、リテラシーがあまり高くない方の底上げが大事です。例えば、政治を変える一票は、どんなリテラシーの高い人も、低い人も・・・、芸能人も、スポーツ選手も、大学生も、後期高齢者の人も、誰もが同じ量分だけ持っているのです。まさに、国力の土壌といっても過言ではないと思います。
微力ではありますが、格差を縮めるようなそんなサービスや施策を打っていけたらと思います。
その一つがこの「大人の数トレ教室」の取り組みです。マイナスをゼロにする。または、ゼロだったものをより大きくプラスに変えていく。モチベーションが高くなくても、気軽に学び始めて、学習を継続することのできる。そんな数字教育をこれからも続けていきたいと思います。
参考WEB
<文/堀口智之>