センセーショナルなデータほど怪しい
TwitterやFacebook、各種SNSで様々なデータ・統計情報などが気軽にシェア、共有される時代となりました。特にその中で危ないと感じているものがあります。
それは、「センセーショナル」なデータです。
「優しい人ほど損をする!」「●●すると絶対にダメ!」「●●はやばい!」とか。
人の感情を揺さぶるようなタイトル、衝撃的な事実を語るデータのことで、それはほとんど端的に綴られます。そのパッと見の印象で「やばい!」と感じてしまってつい行動に移してしまうのがその特徴。シェアして友人に知らせなきゃ。
しかし、そんなときにこそ立ち止まることが大切です。
そのデータが信じるに値すべきか、その信ぴょう性はどうなのか。
専門性が高い人ほど、「データの拡散は慎重になるべき。」と答えることでしょう。というか、その一択しかありません。
情報は必ずエンタメに脚色される
情報は、必ず脚色されます。時にはエンタメに、時には危機に感じるように、人の心を動かすように意図されているわけで、ほとんどの情報、例えば論文、データは地味です。「なにこれ?」とか「何が言いたいの?」かよくわからないこともしばしば。一般の人がノーベル賞クラスの論文を読んでもその重要性を理解できない、というか、内容そのものすら理解できないのと一緒です。理解のしやすさと、その重要性は必ずしも一致しません。
でも、ほとんどの人は、出てきたデータをまるで事実かのように扱うこともあります。それが、正しくなくても、多くの人に支持されていれば、多数決のようにまるで正しく見えてしまうこともあるのです。
これは非常に危険なことで、気を付けなければいけないことの一つでもあります。
心揺さぶられるデータと接したときどうするべきか
衝撃を受けるデータほど、たとえ支持されていたとしても、すぐには信じない。そんなときは、まずは、ソースを見てみることをオススメします。何を参照としているのか。誰が、何を根拠にそれを語っているのかを知ることです。
もちろん、最初は苦痛かもしれません。エンターティメントとして楽しみたければそれもまた一つ。でも、そのエンターティメントであっても、もしそのシェアによって誰かが傷つくこともあると考えると、ちょっと立ち止まることの重要性も見えてくるかもしれません。
もちろん、時間の許す限りの話ではあるので、ソース(情報源)を調査するのにかけられる時間には限りがあるはず。私もたまにソースを確認できずに喋ってしまうこともなくはなく。しかしできる限りソースを調べる習慣を身に着ける。
ソースを調べないなら、「正しいデータかはわからない。」ことを前提に受け入れること。ソースを調べたなら以下のようにわかるはず。
- SNS等で一般人が噂程度で言っていた。
- 週刊誌に書かれていた。
- テレビで言っていた。
- 新聞に書かれていた。
- その分野ではない専門家が言っていた。
- 査読なし論文に書かれていた。
- その分野の専門家が言っていた。
- 査読あり論文に書かれていた。
後者になればなるほど信ぴょう性は上がってきます。(多少順番の前後はもちろんあると思います。)SNSが広まり、どこから始まったかわからないような噂が真実のように語られることも多くなった気がします。逆に言えば、自分の適当な発信が知らぬ間に「真実」として受け入れられてしまうことも少なくありません。世界中に十分広まっていってしまうかも。
ちなみに、会社内でも同じです。仕事でも、結果が求められるのが当然ではあるので、センセーショナルなデータやグラフを作ろうと画策し、時に脚色してしまうこともあるかもしれません。
一人一人がそういった発信を気をつけることも一つ。でも、これだけ人口がいればゼロにはできないかもしれません。だからこそ、情報を得た時の判断力を上げること。そのためのソース、情報源の確認は第1歩です。
社会が大きく変化する時代。変わっていくということは、その取扱いも学ばなくてはいけないということ。一人ひとりの責任を持った的確な判断が下せる社会に近づくために、学び続けていきましょう。
<文/堀口智之>