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デマやフェイクニュースがなぜ流行るのか?【コストから考える】

IT、SNSの発達によって、ちょっとした情報が拡散され、世界を動かす時代になりました。これはよくもあり、悪くもあるかもしれません。ちょっとしたデマであっても、「皆が信じれば真実」になるのかもしれない、ということです。

デマやフェイクニュースは時代を変えてしまうのでしょうか。

デマとは何か

googleで検索してみると以下のような定義が出てきます。

1.事実に反する扇動的で謀略的な宣伝。
2.いいかげんな噂話(うわさばなし)。流言。

引用:https://languages.oup.com/google-dictionary-ja/

元々は、ドイツ語「 Demagogie 」(デマゴギー)からきているとのこと。政治的な意図で流される噂話のことを言うとのことですが、今回のデマはもっと広い意味で捉えていきましょう。政治的な意図関係なく、広く「いい加減な噂話」としてとらえられるものとして考えます。

デマや偽情報はどうして発生するのか。拡散されてしまう理由とは。どのような結論につながるのか。デマの入り口と出口を数字で考えていきたいと思います。

 

デマの入り口

デマを起こすときのコストを考えてみます。すると、なんと1秒で考えることができます。こんなわけのわからないデマを考えてみました。

『実は、日本は悪の組織に牛耳られている。』

とします。(もちろん、個人的には正しくないとは思いますが、実際の真偽は不明にしろ、そんなデマがあってもよいと思います。)

それなりの根拠を適当に提示してみます。

  • マスクをつけると逆に危険。呼吸器に異常をきたすにも関わらず推奨している。これは悪の組織の陰謀である。
  • ワクチンで亡くなった方が数百人になるにもかからわず政府はワクチン原因であることを認めようとしない。
  • 実は新型コロナウイルスは存在しない。社会全体で私たちに嘘をついている。

などです。私が1分程度で考えた適当な話です。もちろん、ある程度賛同する人は確実にいます。実際に上記の主張をしている人はいるので、記憶を頼りに書いてみました。

なぜ信じてしまうのか。

例えばその一つの理由として、心理学の用語で「正常性バイアス」というものがあります。実際に予期しないような事態に遭遇すると「そんなことはない。」と信じてしまう傾向のことを言います。実際に新型コロナウイルスというとんでもないウイルスが蔓延したとき、「この事実を信じたくない。」という方はたくさんいらっしゃったでしょう。

こういった認知バイアスが働いている可能性は十分あります。

しかし、こういった形で嘘をつくこと、デマを流すのは簡単です。難しいのは、それを確かめること、証明することです。きわめて時間がかかります。

実際に「マスクをつけると危険であることを証明した論文」がないことを示したり、「新型コロナウイルスが存在するであろう」確信にいたる証明を提示する必要があります。

ワクチンの危険性については、そもそもワクチンのリスクはゼロではないため、ゼロと言い切ることは無理です。リスクを相対的に比較することでしか、リスクを評価できないので、必要なのはワクチン以外のリスクの情報になります。

しかし、難しいのは、それを実際にそういった手順を踏みたいと思えるかどうか、多くの人は難しいかもしれません。

なぜなら、とにかく時間がかかることと、専門用語を知らなければ読みこなせないなどといったハードルが立ちはだかります。

簡単に言えば、そのデマが嘘であることを証明するためには、少なく見積もっても最低2、3000倍以上のコストが必要です。嘘をつくのは1秒ですが、証明するのに1時間は必要です。

 

真実は二分論ではない

どちらを信じるのが楽かと言えば、デマの方だと思います。なぜなら、端的に極論を示しているからです。

『Aがダメ。Bがダメ。Cが絶対に良い。』

残念ながら、そういうものはこの世の中にはありません。リスクとリターンの相対評価により、よいと言われるものがある程度決まります。確率的によいものと悪いものが存在するだけです。

ちょっとした風邪薬も眠たくなるものはありますよね。しかも、風邪薬は症状抑えるという役割で、風邪事態を治すものではなかったりします。

私もある程度日常的に論文を読んでいますが、ほとんどの論文が「確実に●●である」ことを言い切るようなものではありません。「●●という条件の場合は、●●である可能性が高い。」というようなものであったりとか、「統計的な有意性」を示すものです。(統計的な有意性は、確率的にそうである可能性を示すものであり、絶対性とは全く違います。)

フェイクニュースやガセネタには気を付けている・・・という方でも、ちょっとした芸能人の不倫ネタとかで週刊誌に掲載されたとき、「火のないところに煙は立たない、という言葉もあるし・・・。」として、本当かも、と思ってしまうかもしれませんよね。

もちろん、これを投稿する私も完璧にできているかと言えば、すべての情報の1次ソースなどは確認はさすがに無理でやれていません。可能な範囲で確認はするように気を付けています。

 

デマの出口

なぜ、人はテレビを見るのでしょうか。

それは、端的に答えを教えてくれるから、です。しかし、世界は端的にしめされるようなものではありません。

上記の通り、真実には多くの時間コスト、手間コストが発生し、ごく一部の人しか読んでもらえない傾向があります。

裏技を知ればうまく生きれるようなものでもありません。試行錯誤と確率的に高いものを組み合わせてやっていけるようなものであると私は思っています。

そう考えれば、デマを発生させたほうが多くの人の心を扇動することができ、真実は少数の人を扇動させることを考えれば、やはり真実はあまり面白くないわけです。

 

デマは罪である

2016年熊本地震の際にTwitterで「動物園からライオンが放たれた」と投稿した男性が逮捕されたことが有名になりました。そのあと、不起訴処分にはなったようですが、やはりデマを流すことは罪です。多くの人を不安にさせ、混乱に陥れる可能性があります。(引用:地震直後「ライオン放たれた」 投稿の男性、不起訴処分-朝日新聞デジタル

これはあまりに悪質だったから・・・ということですが、もっと軽いデマならどうでしょうか。エンタメ性を重視したり、「いいね」欲しさから、嘘をつく、デマを流すことも多く発生しています。それがもし、自分についてのデマだったらどうでしょう。

「●●さんがAさんの悪口を言っていたところを見たことがある。」

みたいな、些細な、微妙なデマです。訴えるほどでもないという・・・。というのは、私自身に関してもデマを流されたことがあるからです(泣)

全く身に覚えのないというか、どう考えても絶対に嘘と言い切れるような言葉がネット上にあることに気づきました。でも、嘘と主張するほどのものでもない、本当に些細なものではあったので、無視しましたが。心はやはり傷つきました・・・。

そのデマは一言で1行でしたが、なぜ私はそれを否定するに30分や1時間かけて文章を書かなくてはいけないのでしょう・・・。

これからのデマやフェイクニュースとどのように向き合っていくのか。

真剣に考えたい時代が今、きています。

<文/堀口智之>