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ラーニング・ダイバーシティを考える

yahooニュースでこんな記事が話題になっていました。

参考:「72+41=10013」は正解?学校教育が子どもの個性と多様性を奪っている(yahooニュース)

確かに、73+41を計算すると、113になり、言葉で口にすれば、百十三です。

100以上の数に馴染みがない人なのでしょう。10013と書いてしまった。そこから様々な話が展開されています。私自身も、一教育者として、おそらく10013と書いた解答については、思わず正解にしてしまうかも、と思いました。なぜなら、思考プロセスが非常に明快で、口で喋る数と、書く数が一致していないことからこういった間違った記載が生まれているだけで、考え方は正解だからです。

私も子供の時は、いろんな解き方をしては楽しんでいました。書くことが間違いなのは、さほど大きな間違いではありません。

もちろん、計算間違いが人の命を奪ってしまうこともあるくらい、計算が社会の根幹を形づくっていることは間違いなく、計算間違いは文字通り、致命的なミスといっても、間違いではないと思います。でも、決して記載ミスではなく、表現の仕方、自分の中の表現方法を使ってしまっていた・・・とも考えてることができるでしょう。

学問にきちんと向き合うときには厳密性が重要視されますが、いきなり厳密性を求めてみれば、学問を学ぶやる気もなくなってしまうこともあると思います。

 

ラーニング・ダイバーシティ

臨床心理士の村中氏は、ラーニングダイバーシティという概念を重要性を提唱しており、まさしく重要な考え方だと賛同しています。直訳すれば「学びの多様性」です。

一人一人の個性にあった、学びの幅を広げていくことです。学びは元々人に備わった才能です。それは、「場所」、「人」、「時間」、「方法」、「やり方」、に制限されず、多様な形であってよいはずです。

しかし、今の教育は、周りの声を聴くに、固定化されています。(私自身は、今は大人向けの教育の現場で働いており、子どもの教育現場とはかかわりは薄いので、現状はわかりませんがおそらく変わっていないのでしょう。)私が子供のときには少なくとも、テストで点を取ることだけ、しかも決められたやり方で、というのが一般的でした。

 

数学は、ラーニング・ダイバーシティが余計に求められる

数学は様々な多様性にさらされる実験場みたいなものです。

「正解」と「不正解」は、学校教育の数学では決められていますが、そこに向けて答えを出す方法は固定化しています。固定化しないと先生方としても、生徒の考え方を理解できない等あるのでしょう。出ている杭がどういうものなのかわからないのです。

それこそ、掛け算は必ずこの順序で解かないといけない。速さ・時間・距離の問題は、「はじき」の考え方に則って必ず答えは出さないといけない、というものです。

やり方は自由なのが数学のよいところでもあるのに、制限をかけてしまったら初めからストーリーが完全に決まっている人生みたいで、ちょっとおもしろくないと思います。(問題と解く楽しさはありますが。)

大人になったらむしろ総合格闘技で、何でもありです。パンチだけでなく、キックや武器まで持ててしまうのが大人の世界。そこに卑怯、はありません。やったもん勝ちです。電卓とかエクセルとか計算できるなら、それでよいじゃないですか。

これはあくまで「やり方」の多様性です。他にも、様々な考えるべき視点があると思います。

でも、多様性を認めれば認めるほど、今あるルールからの逸脱が行われ、それぞれの正しさが交錯し、迷いが生じてきます。コストにもつながることは容易に想像できます。

学びの多様性があるというのも、すぐには受け入れがたいものであることは理解はできます。

今はチャンスの時代

感染症の時代となりまして、同時に大きなチャンスが訪れるのが2020年となりました。このチャンスに何をするのか。ラーニング・ダイバーシテイを昔よりはずっと導入しやすい社会になっています。

必要なのは、理想論ではなく、現実的なプランです。しかも、一つずつ少しずつ変化していくものです。

今から体制をしっかりつくることを考えれば、10年先にはまた時代遅れ、なんて言われてしまうかもしれません。固い制度から考えたコミュニティではなく、ゆるくいつでも体制を変更できる可能性があるコミュニティの在り方が求められると思います。

ふわっとした結論になりましたが、また改めて機会を見て考察していきたいと思います。

<文/堀口智之>