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リスクゼロにしようとするととんでもないコストがかかる話【ゼロリスク信仰】

人が求めるのは、確実なものです。

もし、確実を求めるなら、どんな未来が訪れるでしょうか。

きっとこういうでしょう。

「99%なんていうのはダメです。1%も失敗する可能性がありますから。」

「100%じゃないと!」と。

 

災害をリスクゼロにするためにどうすべきか?

特に、災害にどう対処するかを考えてみるとわかりやすいでしょう。

暴風、豪雨、地震、雷、津波、火事、火山の噴火、ウイルスによる感染症拡大も一種の自然災害です。様々な災害が考えられます。

豪雨にどう対応しましょうか。豪雨で考えられるのは、川の氾濫です。最近多くの町が川の氾濫による被害を受けています。水害から身を守るために、川が氾濫しても家が絶対に被害をあわないように、3階から住居部分を作るというのはどうでしょう。高さが6、7mもあれば大規模氾濫でも浸水の確率がグッと下がります。なお、土砂災害が考えられる地域に住むのはもってのほかです。

次に、地震です。どんな大きな地震がきても対応できるように、すべての家具に地震対策用の家具転倒防止グッズを取り付ける必要があります。窓ガラスには、ガラス飛散防止フィルムを貼ったり、食器棚も崩れないような対応が必要です。そもそも耐震性の非常に高い家に住まなければなりません。

地震による津波も考えられますから、海側には巨大な堤防を築く必要があります。しかし、行政はきっとそこまで対応してくれないので、もし海沿いに住んでいたとしたらすぐに引っ越しが必要です。東日本大震災では、最大高さ40メートルの津波が襲ったと言われています。標高40メートル以上土地に住むことは必須と言えるでしょう。

いつウイルスによる感染症にかかるのか、病気になるかわかりません。突然の発作も考えられます。どんな病気になってもよいように、大量の薬、抗生物質など家においておく必要があります。例えば、40歳の男性が1年間に亡くなる確率は約0.1%です。つまり、1日あたりに亡くなる確率は、30万分の1程度もあります。リスクをゼロにすることを考えれば病院に近いところに住んだ方がよいでしょう。それどころか、医者を家に常駐させておく必要があるかもしれません。

他、雪害や火山の噴火による火山灰による被害、原子力発電所の事故など自然災害や人的災害も含む様々な災害が考えられます。近くのコンビニ、スーパーから商品が消えることも考えられますから、家に数か月分の大量の備蓄は必要になってきます。

 

リスクゼロにするには災害だけ気を付ければよいわけではない

と、これだけではありません。窃盗など、泥棒に侵入される可能性もあり、家のセキュリティを十分高める必要があります。監視カメラの設置、防犯セキュリティ会社との契約も必要となってくるでしょう。

いや、そもそも、職場に行くのもダメです。なぜなら、通勤の時に事故にあう確率が発生するからです。自宅での作業が必須です。配達やデリバリーなども流行ってはいますが、もし、配達員に家を知られてしまうリスクも発生します。犯罪につながる可能性もゼロではありません。自分の家を知られてしまうこと自体リスクでしょう。それどころか、友達を持つこともリスクにつながります。友達の被害が自分にも・・・ということも考えられますから。

100%安全を求めるなら、「核シェルター」が必要だと思います。核戦争が発生する可能性もゼロではありませんから。戦争という大きな社会変化は大きな被害をもたらします。これは戦争が始まってから作り始めるのでは遅いでしょう。

 

リスクゼロにすることがいかに大変で、バカバカしいか

と、ここまではあくまで茶番です(笑)本気でとらえないでください!

このように、個人で考えてもとんでもないくらいバカバカしいことがわかります(笑)お金がいくらあっても足りません。多大な時間もかかります。しかし、もし、そんなお金を持っていたとしたら、お金を持つということ自体が失うリスクが発生するのでさらに対策が必要です。

リスクをゼロにしようとすること自体、本当に大変なことです。覚悟と準備が必要になってきます。

ゼロリスク信仰であること、つまり、リスクはできるだけゼロに近づけたいという人の欲求が今年2020年に入ってからさらに顕著に表れていると思います。ゼロにできるにはできるかもしれないけれども、それ以上の多大な何らかの犠牲が発生するということが大前提です。

 

確実性効果と向き合う

でも、100%安全がよい。人はそう信じています。

これを行動経済学の用語で「確実性効果」と呼びます。99%よりも、ずっと、100%に価値があるのです。たった1%の違いではありますが、人が感じる価値は1パーセント以上です。確実性効果を考えることはサービス設計や会社のリスクを考えるうえでも非常に重要になってくるはずです。

現実的には、1%のリスクを下げるのに、どのくらいの費用、そして時間がかかるのか。計算をしながら数字での比較は必須となります。すべてのリスクをゼロにすること自体現実的ではそもそもありません。1%のリスクを受け入れて、その費用をかけないというほうが、その費用を他のリスクに向けることができるなど、よりよい未来へとつながるでしょう。

自分の内なる心が確実性効果に影響されていることを自覚しながら、様々なリスクと向き合う。リスクと共存する。もし何らかの被害が発生してしまったときにどう準備しておくか。被害は、変化をもたらします。その変化にうまくどう対応していくかを考えたほうがよいでしょう。

以上、ゼロリスク信仰の虚しさ、リスクゼロにすることの大変さをお伝えしました。

<文/堀口智之>