数学がどうやったらできる人になるのか。
そんな話をclubhouseという音声SNSアプリで、弊社イベント、ロマンティック数学ナイトの登壇常連の「ねげろん(参考:Twitter)」さんとロマ数司会の「タカタ先生(参考:Twitter)」を中心にお話をさせていただきました。(お話というか、私が乱入したのですが。)
前提としてあるのは、「数学ができるかどうかは、外から見てもわからない。」ということ。筋トレをしたときの筋肉のように、外部から見てわかるようなものだったらよいのですが。目の輝きが増したら、数学ができるとか。爪の長さが数学力の証とか(笑)。何かあったらよいのですが、何をもって数学ができるようになっているのか判断するのは難しい。数学は脳の、心の、内的な活動なんですよね。
問題を解かせようとしても、別に大学教授が大学受験問題を解けるとは限りません。あくまで受験用の問題ですから、制限時間、難易度や範囲が調整されてしまっています。
「でも、数学ができるかどうかって”引き出しの多さ”は絶対に要素としてありますよね。」という話に。
たしかに何事にも言えることではありますが、数学のネタがあればあるほど、引き出しがあればあるほど、やはり数学の発想は膨らんでくるんですよね。でも、ネタがあっても発想がふと浮かぶときと浮かばないときといろいろあったり。人からそのアイデアを聞けば、「なぜ思い浮かばなかったのか。」なんて思うことも。
それを思えば、「数学のセンスはやはり、ある。」というのも一つ。1日考えてようやくわかった1ページに、パッと見てわかる同級生などいると、やはり落ち込みますよね。
数学Twitter界で最も有名な一人である千葉逸人先生(私は大学時代からずっと尊敬している数学者の一人です。)は、寝る以外はずっと研究室に籠って数学をしていた・・というか夢の中でも数学もしている。(参考:千葉逸人-Twitter)
・・・などというエピソードを聞くと、そこにいたる「努力」(努力と思ってしまっている時点でおそらく才能がないんだと思いますが(笑))を感じ、やはり数学者になるというのは本当に大変なことなんだと思います。
ニッチな領域で勝つのは比較的簡単なことです。しかし、数学で人と比べてできるというのは、数学オリンピックメダリストなど、上には上がいる世界です。数学オリンピック金メダリストは世界でせいぜい数百人程度ですから、それ以外は、相対的に数学で「負け」を経験している人なのです。(何をもって負けかによりますが。)
でも、研究者の世界でも、同じように頭のよすぎる人から逃れるために「いかに”ニッチ”な研究領域で成果をあげることが生き残る秘訣。」と語る大学の先生もいるとのこと。
まぁ、脱線してしまいましたが、数学のセンス、才能はやはりありそうです。
でも、ほとんどの人が数学の研究で食べていく、わけではないと思います。
「できる」を問わなければ、誰でも挑戦してもよいものです。その数学的世界観に触れる喜びは代えがたいものがあるので、挑戦したい方はぜひ面白そうな数学書を手に取っていただくなり、うちの教室(参考:和から株式会社)の門をたたいていただくなり、大学にもう一度通うというのも一つ。
数学の才能に関係なく、「わからない」ものが常にあり、「わかる」喜びを味わるのは、まさに数学の魅力です。
「数学が実は好き。」「数学にいつか挑戦してみたかった。」
そんな方はぜひ思い立ったが吉日。数学にチャレンジしてみてください。
<文/堀口智之>