「わかる」とそれがまるで当たり前かのようになってしまうことがあります。理解とは、そういうものでもあります。今までは意識していたものが無意識になってしまうプロセスの最初の段階でもあるのです。
数学もその「わかる」までの課題が大きくクローズアップされる一つの分野です。
「計算できる」と「わかる」は違う
例えば、連立方程式の解を加減法や代入法を用いて計算できる人は多くいるでしょう。でも、「どうして答えが出るんですか?」と聞かれれば、うまく説明できる人はぐっと少なくなることでしょう。なぜなら、計算で答えを出したことそのものが評価、テストで〇×をされ、それ以上の意味を求めなくなってしまうこともしばしばあるからです。
数学という分野は、「計算」出来てしまって答えが出てくると、まるでそれが理解できた、かのようになってしまうことはあります。
「連立方程式は解けるけど、その意味は分かっていない。」
という現象がしばしば発生します。しかし、解き方のみを教わる意味は、抽象化された世界がどのような世界になっているか、というのが「わかる」ことも一つあるのではないかと。つまり、計算してみると、その計算の先にその性質がなんとなくわかり、「わかる」という感覚を得られることも事実なのです。
「わかった」先に言語化するうえでの重要なポイント
でも、そのようなプロセスで「わかった」、理解したものを言葉で説明することは、「どうやって腕動かしてますか?」と聞かれるようなもの。
腕は動かそうとして動くものではあまりないですよね。気づいたときにはごく自然に動いてしまっているようなものです。だからこそ、人に「わかりやすく」説明するのは難しくあります。
「昔は動かせなかった・・・」としても、動かせた瞬間、ごく当たり前のものに変化してしまうからです。
教育とは、授業とは、「動かせてしまった。」ものを「動かせていない人が動かせるようにする。」ために「動かせなかった」記憶を探り、言語化するというプロセスを辿る作業でもあるのです。
その言語化は非常に重要で、我々の思考するための材料集めみたいなものです。言語化のエッセンスはいくつかありますが、特に数学という分野で重要なのは、「比喩」の表現です。つまり、置き換えて考えてみるのです。
- 「xを例えば、りんごで考えてみましょう。」
- 「xは例えば、あなたの好きな人です。」
- 「xは例えば、”今”という時間で考えてみましょう。」
でもよいと思います。xはなんでも置き換えるものができるからこそ、置き換えられない。人は選択肢がたくさんあると選べないのです。
だからこそ、勇気を出して、一つ選んでみる。
そこから計算してみる。概算してみる。
わからないときは、「比喩」を使って言語化していきましょう。今日も比喩を使って様々なものを考えて、わかるように授業していきたいと思います。
この記事のきっかけ
ちなみに、この記事のきっかけとなったのは、先日、お客様から
「堀口先生は言語化するのがうまい。」とおっしゃっていただきました。大変有難かったのですが、その「言語化とは何か」を考えていました。
なぜ言語化できる人とできない人がいるのか。言語化する人はどんな要素を持っているのか。言語化とはつまりどういうことなのか・・・。
言語化できる人は、少なくとも教育者としての資質はあると思いますが。
長くなるのでまたの機会に投稿します(笑)
<文/堀口智之>