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教育は漏れありダブりありがよい

よく「もれなくダブりなく」がよいとされています。この考え方をMECE(Mutually Exclusive and Collectively Exhaustive)と言います。読み方は、「ミーシー」です。

ロジカルシンキングの一つとしても、マーケティングの考え方としても言われている基本的な思考法です。

しかし、教育においては、MECEはよくありません。

 

教育は漏れありダブりありがよい

「漏れありダブりあり」で教育に向き合っていくことが大切です。同じことを言い続けるのです。

1回きりで完璧にわかったら、大人は皆素晴らしく賢いでしょう。しかし、そうでないことは誰もがわかっています。何度も、何度も同じことを学ぶのは非常に大切なことです。途中であきらめないことです。

そして、本質の部分だけわかれば、すべて学ばなくても、ある程度は経験の中で学ぶことができます。全部である必要はありません。

例えば、ある一つの問題の解き方を何度も実践すれば、教わっていなくても他の問題も自然に解けてしまうこともあります。何が大切かがわかったからです。

私はずっと数学教室をやってきましたが、

「何度も同じことを聞いてすいません。」

と謝られてきました。なぜ謝るのか。

それは、何度も同じことを聞けば、怒られた経験があるからです。

「同じことを2度聞くな。」

と。そんな過去の風景が見えてきそうです。しかし、完璧にすんなりわかることもありますが、1度だけで理解することの方が少ないでしょう。一時期わかっても、また家に帰ってしばらくするとわからなくなるのです。そして、悩むのです。そのときに浮かばなかった疑問がふつふつわいてくるのです。。

でも私自身もそれほど賢い方ではありません。何度も何度も100回くらい聞くとようやく理解したこともあります。

自分がそうだから、何度も何度も同じことを話します(笑)

 

eラーニングにはしつこさがない

例えば、「eラーニング」には限界があると思っています。一定のしつこさがないからです。一度聞いたことは新鮮味が無くなって聞くときのモチベーションが下がってしまうこともあります。学びたくないときは学びたくないというのが人というもの。

しかし、そんなときに、必要なことがその人に向き合うしつこさです。しつこい人ほど嫌われると言いますが、そこで素直に嫌われるのではなく、一定の距離を保ちながらも、ちゃんと相手を認めたうえで、ちゃんと向き合っていくということです。

もちろん、その人が何を望んでいるかによります。成長したい、知識を身に着けたい、知恵にしたい。学びを得たいのであれば、やはり自分にはないしつこさを教育に持ち込むことは必要だと思うのです。

 

しつこさに救われた

私も何度も何度も逃げたい場面で、しつこい一言に救われました。

「おれはおれのやり方でやるんだ!」

そんなときには、肯定も一つですが、こんな一言に救われました。

「なぜ無駄な道を行こうとする?他から学べばよい。」

確かに、冷静に考えてみたら当たり前のことです。しかし、一人になると、冷静な判断ができないというもの。若気の至りで、何度も非効率な学びの過ちを犯したこともあります。(いい経験でした。)

元々学びは、表面的なものではなく、深いレベルでわかっていくことも学びの一つです。表面の疑問ではなく、内側から出てくる本能の疑問と向き合うこと。むき出しの感情と共に向き合うことも大きな学びにつながる第一歩です。

人は、一人ではなく、誰かと共に生きるということの大切さが意味するのは、本気で向き合える楽しさがそこにあると思うのです。必然的にしつこさが出てきてしまうというのが深い人間関係というもの。家族でも、仕事でも、友人との関係でも一緒だと思います。

人とのかかわりあいの中で大いに成長する。しつこく向き合って、共に成長する。

これからも、しつこく教育に向き合っていきたと思います。

<文/堀口智之>