お問い合わせ

やる気のある大人と、やる気のない子供

社会人の方と小学校~高校生に対して、両方数学を教えてきました。社会人の方は10年、子どもは4年ほどの経験です。

その中で最も違いを感じるのは、「やる気」です。主体的な学びをしようとしている大人と、受動的な学びをしている子供の違いを感じています。

 

大人は数学を学ぶモチベーションがある

大人の方は数学を学ぶ、算数を学び上でのモチベーションが大きく違います。

理由は、自分のために学ぶから、です。自らの今いる環境が不適切であることに気づき、だから学ぶ必要があると思っているのです。自分のためにお金を払い、忙しい合間を縫って、一人になれる時間をちゃんと作って、飲み会を断り、自分の目標や目的のために数学を学ぶのです。

もちろん、学ぶ目的はそれぞれ違います。事務仕事をやっていく中で数字が苦手なままではいけない、だから数字に強くなるために学ぶという方もいますし、経理での数字が合わないときの勘を鍛えたいという方、数学を学ぶことで論理的な思考力を鍛えていきたい方、仕事ですぐにでも統計分析を学びたい方、もう一度大学院の受験を考えている方などなど。

 

子どもの多くは受動的な学び

子どもが学習塾で学ぶとき、「親が通わせたいから。」という理由で学ぶことが多く、多くのやる気のない生徒をたくさん見てきました。もちろん、一部の子はやる気はありますが、決して多くない割合です。3割いるでしょうか?もちろん、学習塾は合計5社くらい働いていますが、塾によって大きく変わると思います。

とある中学受験用の塾でも働いてきましたが、「ただただ通っている・・・。」みたいな、やる気が見えない子供たちがたくさん通っていました。

そこの中学受験の塾では、異常な量の宿題を渡されます。週2、3回の授業のために、1冊30ページもあろうかという冊子を次回授業までにやってこなくてはいけません。とてもじゃないですが、寝る暇があるのかというくらいの量です。可哀そうな気持ちになったのを今でも思い出します。

大人向けの数学教室をやっていて思ったのは、大人の方は自ら学ぶ気がある方が多く在籍しています。やる気のない方はおそらく一人も通っていません。本当にモチベーションが高く、宿題をやってきてください、と言わなくても自らやってくる大人の方が多いです。(もちろん、楽しい話を聞きたいという目的の大人の方もおり、そういった方は宿題へのモチベーションは低いですが、学ぶ意欲は非常に高いです。)子どもとのやる気自体の差は歴然です。

当然教えていて楽しいのは、やる気がある、自ら主体的に学ぼうとする気のある人です。(もちろん講師としては、やる気がない人にはやる気が出てくるように教えてくるのは当然ではありますが。)

 

教育論としてあるべき姿

「教育」として語られるのは、いつも子供が対象です。しかし、大人が対象となったとき、自ら学ばなければ、という気持ちの伝わる、「なぜ?」という疑問と共に必死に学ぶ姿を見ていると、同じ「教育」という言葉は不適切な気がしてきています。

教え育てること、が教育の定義ですが、育てているのか?育てられているのか?がわからなくなるときがあります。

教育、「educate」とは「e-duc-ate」と分解でき、「外へ-導く-行為」となります。今いる環境から、外の環境へ引っ張ってあげることが教育です。引っ張ってあげるときに、自らの足で外へ行こうとするのか。それとも、自らの部屋に内側からカギをかけた状況で引っ張ってあげるのか。どちらでしょうか。

やる気のある大人たちと付き合っていると、その大いなる可能性を感じます。もちろん、「大人だから、子供ほど変われない・・。」なんて声も聞こえてくるかもしれませんが、学びとは、その姿勢に宿るものだと思います。一種の生き様だと思っています。その生き様に触れたとき、周りにもその学びの和が伝搬していくのです。

だからこそ、大人向けの教育、リカレント教育の大切さを感じるのです。必要なときに、必要な学びを、そんな環境の大切さを感じます。

<文/堀口智之>