わかりやすい価値とは何でしょうか。まず、お金です。お金はわかりやすい価値です。人に伝えやすい指標の一つです。
しかし、わかりにくい価値はたくさんあります。わかりにくい価値とは何でしょうか。そして、わかりにくい価値を実感する方法とは何でしょうか。
それは、たった一つの質問です。
「〇〇を失うことを考えたときそれにいくら払うか?」
というものです。この質問は非常に重要で、なぜなら、自分の既に持っているものの大切さを知ることができるからです。
質問の威力を知る
例えばこんな質問を考えてみましょう。
「自分の指を失うのと代わりに大金を得ることができる。いくらなら払えるか?」
というものです。
小指なら・・・と考える人はいるかもしれません。親指ならどうでしょう。多くの人がためらうのではないでしょうか。親指がなくなってしまうと、多くのものをつかむことが難しくなってきます。
100万円・・・なんて人はいないはず。1000万円、1億円、そんな大金を提示する方が多いのではないでしょうか。つまり、1億円の価値があるものを常に我々は持っているということです。
この考え方を数学で考えてみる
私も一緒でした。自分の持っている価値を知らなかったのです。
今、大人のための数学教室の創業をさせて頂きましたが、まさか数学がお金に変わるなんて思っていもいませんでした。クラスに一人くらいの優秀な人ではありましたが、でも、それ以上でも以下でもありません。ちょっと自分ができることだったからで、数学オリンピックのメダリストよりも圧倒的に凡才で、予想するに自分より数学ができる人は数万人とか、10万人はいるでしょう。
10万人も数学ができれば、「数学がちょっとできる」人なんて珍しくもありません。
でも、そんな自分でも起業してこうして好きなことで仕事をさせて頂き、その仕事によって年間数千人、数万人の人に影響を与え、人を笑顔にし、長期的なキャリアをつくるお手伝いができています。
私はずっと、ちょっとだけできる数学に価値はないと思っていました。まさに、わかりにくい価値です。しかし、その価値も活かし方一つで大きな財産に変わるのです。これは特別なことではありません。
何かが欠けていたとしても、指があって、手がある、腕がある、2本脚で立てている、生きている、呼吸ができている、美味しいご飯を難なく食べることができている、そんな当たり前の日常に、価値を感じれるかどうか。
欠けているものに注目すれば、自分には何もないように感じ、がっくり落ち込んできます。しかし、このわかりにくい価値に注目したとき、自分には素晴らしい財産があると気づける。そしてそれこそが、「幸せ」に最も近づける方法なのかもしれません。
<文/堀口智之>